板目木版 Woodcut, Woodblock Printing, Wood Engraving[ 英 ] 原版は、版木(はんぎ)、板木(はんぎ)、彫板(えりいた)、形木(かたぎ)、摺り形木(すりかたぎ)など[1]と呼び、主に彫刻刀で溝を彫り、凹凸をつけることによって作られる。印刷物であり、なかでも優れたものは美術作品である。英語(事実上の国際通用語)では woodcut、もしくは、xylograph と言う。
小口木版 Gravure sur bois [ 仏 ] , Wood engraving[ 英 ] 堅い木の幹を輪切りにして、その中心部の堅い部分を使って、小口木版用の版木を作る。ビュランを用いて細密な線を彫ることが可能なので、ヨーロッパでは書籍の挿し絵や蔵書票として発達しました。 西洋木版とも呼ばれ、18世紀末にイギリスのビウイックThomas Bewick(1753-1828)によって印刷技法として完成され、凸版であるため、平圧プレス機で活字と同時に印刷できる(本文の鉛活字と同じ凸版印刷であるため)ようになり、読者層の拡大に対応して、迅速かつ安価に挿絵を印刷できる技法として、書籍、雑誌、新聞など、多くの出版物に使用された。 版木として使用される木材は、板目の版木よりも硬質で、目が詰っていて密度のある黄楊(ツゲ)や椿、梨、楓などの硬い木材が用いられます。しかし、これらの木材は生産量が少ないことや、木の太さのサイズまでしかとれないことなどから、四角く裁断した木口を接着した寄木の版木も作られています。 こうして、書物の挿絵の主流は、17、18世紀において支配的であった銅版画から、木口木版印刷の時代時代をへて、188O年代に写真を用いた製版方法(おもに亜鉛凸版)が普及するにつれて、短い木口木版印刷の時代は終る。
日本の木版画 日本人は木版画というと浮世絵を思い浮かべるが、浮世絵には版画と肉筆画のものがある。肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して、木版画は版画であるために、同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ安価で、江戸時代の一般大衆もたやすく求められた。草双紙や絵巻物、また瓦版(新聞)の挿絵の役割も果たした。絵暦と呼ばれるカレンダーの制作も行われ、絵の中に数字を隠すなど様々な工夫を凝らしたものが作られた。江戸から国元への土産にも、その美しさと嵩の低さが喜ばれた。玩具絵のように切り抜いて遊ぶものもある。 明暦の大火から宝暦の頃。初期の浮世絵版画は木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。その後、墨摺絵に赤い顔料で着色した丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)、紅絵の黒い部分に膠を塗って光沢を出した漆絵(うるしえ)が登場、以上はすべて筆による彩色であった。さらに紅絵に緑色など二、三色を版摺りによって加えた紅摺絵(べにずりえ)が登場する。錦絵登場の直前、輪郭線すらも墨を用いず「露草」の青とした水絵(みずえ)と呼ばれる、極端に彩度の低い多色刷りも生まれている。明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃。鮮やかな多色刷りの東錦絵(吾妻錦絵、江戸絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。下絵師、彫師、摺師の分業体制が整っていく。
RHINOCEROS, 1515. Woodcut and letterpress. 21.4 cm × 29.8 cm (8.4 in × 11.7 in) Museum of Fine Arts, Boston. Photo: Photograph © 2011 Museum of Fine Arts, Boston
Mitate-e:Crossing at Sano, 見立佐野の渡り,1765 woodblock prints, color ; 28 × 20.7 centimeters
woodcut., 10.5 x 14.8cm, 1992
Fûzoku shiki kasen: Samidare, late 1760s-1770 colour woodcut 27.3 x 22.0cm image/sheet