「僕のシルクスクリーンの開始は62年の8月だった。(中略)それはまったくシンプルだった。・・・すばやく、偶然性に満ちていた。僕はこのシルクの手法に戦慄をおばえた」(特集アンディ・ウォーホル美術手帳 1987. 6. )
ウォーホルは、スープ缶の記号を描写するのでなく、記号としてそのまま提示する。キャンバス上に何度も同じイメージを機械的に繰り返し、スクリーンの網目によって画像の密度は元の画像より荒くなり、密度を減じたイメージは元来の無機性を一層強調する。
「こんな描き方(シルクスクリーン)をしているのは、機械みたいになりたいからで、機械みたいにしてやることが自分のやりたいことだって思うんだね」( [What is Pop Art? ] ART NEWS ,1963 ,November ,Interview by Gene.R.Swenson)
版画において、版画の機械的なプロセスを隠し、画面の有機的な表現効果を破綻させないため版のずれが注意深く避けられる。ウォーホルの作品の場合は、逆に制作の無機的、機械的なプロセスを強調するために、ずれは放置される。版画を良い趣味の表現として見られること、また、日常の記号として見られること、の双方に抵抗し、イメージを表現するための版表現でなく、機械的なプロセスを強調するためにイメージが選択されている。
「機械になりたい」と言うウォーホルの版画のずれは、現代文明への批判と告発としてありましたが、<システム>の賛美をたてまえとする手法は芸術表現の一様式とみなされ、評価を得るにつれて<生産・情報のシステム>に吸収同化され、現代都市を飾る一つの趣味風俗として次第に時代のなかに埋没していきました。残念。
Andy Warhol
Green Coca-Cola Bottles,1962
Synthetic polymer, silkscreen ink, and graphite on canvas
209.2 × 144.8 cm
Marcel Duchamp
Self Portrait in Profile (red),,1964
silkscreen
63.5 cm x 49.53 cm
Roy Lichtenstein
Untitled”
(Still Life with Lemon and Glass), 1974 Serigraph